ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
幕間「マリーブランシュ」




 どうやらわたしは、生まれ変わったらしい。

 気がついたのは、母親から生まれた時だった。
 それまでなんだか暖かい感覚に包まれていたことは覚えているが、思いだそうとしてもよくわからない。
 わからないと言えば、赤ん坊の身体になっていると気付いた時も、本気でどうして良いかわからなくて思考が停止した。立ち上がることも寝返りを打つことも出来ず、ただただベッドの上で、あるいは母親らしき人の腕の中で、ばたばたと小さく手足を動かすぐらいしか出来なかったのだ。
 しばらくは目も開かず大して動けるわけもなく、もやもやとした日々を送っていた。
 することがないので、ついつい元の世界のことを考えたりもする。
 こちらの世界に生まれる前は、地元では評判のいい女子校を平凡よりはやや上と言う成績で卒業して、楽しく大学生をしていた。記憶の混濁もなく、元の名前も住所も思い出せる。
 週末に友達と『余り大きな声では言えない、主に二次元メディアを愛好する趣味人たちが集まるお祭り』が開催される都内の某所へと小旅行する予定で、深夜、アルバイトが終わってから提出期限の迫っていないレポートを前倒しして仕上げるために机に向かっていたことも覚えていた。
 ただ、その後がわからない。
 苦しかったり誰かに襲われたり、事故や事件にあったような記憶はなかった。案外元のわたしはそのままのんびりと、普通の生活を営んでいるのかもしれない。分からないなら楽しい想像をするしかなかった。
 ポジティブに行こう、ポジティブに。
 ……死んだと決めつけるより、ずっと気分はいい。
 
 赤ん坊の身では何が出来るわけでもないかと、開き直ってしばらく。
「マリーは将来、カトレアそっくりの美人になるよ」
「あら、お父様に似て優しくて賢い子になるんじゃないかしら」
 生まれて数週間、目が開いて驚いたことに、母親はスタイル抜群でピンクブロンドのものすごい美人、父親は同じく金髪の優しげな少年だった。……あまりにも若いので、しばらく母親の弟かと思っていたのは内緒だ。
 母親は少々身体が弱いらしく、周囲からは常に気遣われていた。その割に健康そうに見えるが、産後に体調を崩す人が多いというのは知っていたから、わたしもなるべく笑顔を向けるようにしている。綺麗で優しい笑顔が返ってくるのも嬉しいので、わたしは一目で気に入ってしまった。いや、前の両親が嫌いとかそう言うわけではないけれど、自分でどうにか出来る状況じゃないのよ……。
 おほん、それはともかく。
 周囲の話を総合するとわたしはこの母親にそっくりで、さぞ美人になるだろうとの判定を下されているようだった。嬉しくないと言えば嘘になるが、今ひとつ美人という言葉に縁の無かった過去を思い出すと少々むずがゆい。それでも、特にあの、母親のむ……胸だけは遺伝子様のお力でなんとしてでも我が物にしたいところである。
 父親は仕事で方々を忙しく飛び回ってるようで、三日ほど家を空けることなど普通、時には妻子を放って一週間に及ぶ出張に行くこともあった。もっとも浮気の心配だけはないらしい。妻であるわたしの母親以外の秋波、例えばメイドさん達からの熱い視線もさらりと流しているあたり、鈍感なのかそうでないのか。年が若いだけに微妙なところだ。
 そう、この家にはメイドさんが居たのだ。顔立ちは西欧風から北欧風、エキゾチックな顔立ちをした美人さんまで、若くて健康そうな十代から二十代の美人が立ち働いている。
 そうか、ふーん、外国に生まれたのか、それも相当にお金持ちの家だなー、すごいぞわたし、と思っていた。……が、どうもそう単純ではないらしいと気付かされたのは、もうひと月ほどを寝て過ごしてからだった。
 車も電気もない。もちろん、テレビやインターネットもない。ないない尽くしの中世か近世のヨーロッパだ。赤ん坊の身でもそう判断できるだけの生活用品や、人々の服装や習慣に接する機会は多かった。
 その代わりと言っては何だが、父親が鉄の杖を一振りすると重いはずの家具やベッド、時にはわたしが宙に持ち上がったりするし、窓からはドラゴンがこんにちはをして、帆船が空を飛んでいる。……ヨーロッパ『風』の世界と訂正しておこう。
 父親が飼っているこのドラゴン、恐い顔の割に人懐っこくて、時折窓から首を伸ばしては私の方にも顔を寄せてくる。一飲みにされそうな大きな口に鋭いカギ爪、3DCGでも特撮でもない正真正銘のドラゴンだ。最初は素で泣くほど驚いたが、慣れると大きい犬か何かと変わらない。きゅーきゅーという鳴き声も可愛いし。そのうち、乗せて貰わねばなるまい。
 更にここは領主様のお屋敷で、若い父親リシャールが子爵で当主、美人の母親カトレアが子爵夫人、そしてわたしことマリーが子爵令嬢という、ただの大学生であった以前のわたしからは冗談としか思えないような生まれ変わり先だった。子爵家に仕える本物のメイドさんが両親やわたしの面倒を見ているし、時には来客らしい年輩の男性が頭を下げ、父親がそれをにこやかに受け止めている様子なども見た。騎士や軍人と思しき人々も屋敷、いや塔や銃眼のついた壁があるからお城か、とにかくこの『おうち』に出入りしている。お出かけの時などは、合計三十人近いメイドさんや執事さんが頭を下げてお見送りをするほどの家だった。
 赤ん坊であるわたしは気にも留められていないのか、やれ奥方様が気遣って下さっただの、領主様のおかげで仕送りが出来るだのと、お世話係のメイドさんや乳母さんらの噂話が耳に入ってくる。
 しかし、彼女達から聞こえてくる両親の評判は悪くない。噂話は直接的な物言いではあっても、そこには何かしらの暖かさがあったからだ。ついでにわたしも人気者で、お世話当番になることは彼女たちの間ではある種のステータスらしい。
 多分だが、父親は若い身空で領地を継いで、懸命に頑張っているのだろう。両親には歳の差があるから、おそらくは政略結婚で母親が嫁いできたに違いない。それでも仲がいいとは実に幸運、などとわたしは考えていた。こちらからは質問できないので、聞こえてくる情報を待って整理するしかないのだ。
 それが間違いだと知ったのはもう少し後だったが、わたしは半ば呆れて父親の顔をまじまじと見つめてしまった。
 両家の祖父母はともに健康、父方に至っては曾祖父母も顔を見せるほど。うん、これはまあいい。わたしの考えが先走っただけだし、長生きするのはいいことだ。
 だがあろうことか、父親の出自は下級貴族の三男坊で、若くして爵位を得て公爵家の次女であった母を望んで娶ったとなると、どこの中世騎士物語の主人公だと問いつめてやりたくもなる。
 もっとも、見つめられた父親の方はわたしが自分の方をじっと見ているのが嬉しかったらしく、しまりのない顔で母親とわたしを見比べてはにこにことしていたので早々に怒る気は失せた。……子爵様としては威厳に欠けるしわたしの好みからは少々外れるが、どこかの合唱団にでも居そうなショタ風味の入った金髪の少年から愛情たっぷりに微笑まれては、悪い気分になろうはずもない。くやしいけど。
 母親にされるのと同じように頬にキスをされても、別段嫌悪感は抱かなかった。女性として認識されていないことも間違いないが、ああこれが父性愛家族愛かと受け止める余裕もある。西欧風のスキンシップを愛情たっぷりに注がれるのも、存外悪くはないものだ。これで父親が幼女性愛趣味の変態であったら目も当てられないどころかこの時点で既に人生が詰んでいただろうが、流石にそれはいらない知識の先走りすぎだった。……お父様、あらぬ罪を着せようとしてごめんなさい。娘を抱くの時あなたは大変嬉しそうですが、それがごくごく普通の親馬鹿故のことだと娘はきちんと理解しています。
 そんな家族と環境に囲まれながら、わたしは『マリー・ブランシュ・ド・セルフィーユ』として育てられていた。

 それにしても、赤ん坊は退屈だ。
 首が座ってからは随分とましになったけど、以前は周囲を見回すのにも一苦労していたし、寝返りがあれほど力の必要な行動だったとは考えたこともなかった。
 部屋の中は代わり映えもなく、刺激も少ない。もどかしすぎる。せめて早く一人歩きできるようにならなければと、じたばた手足を動かし、来るべきその日に備えての訓練も欠かさない。最近はぬいぐるみの手も握れるようになってきたので、新たな訓練、『ぬいぐるみを持ったまま寝返りをする』にも挑んでいる。それほどに退屈なのだ。……退屈しのぎにおしゃべりしようにも濁音撥音がまだ難しいし、赤ちゃんがしゃべったら変だものね。もうしばらくは我慢かなあ。赤ん坊というお仕事も色々と大変なのよ。
 しばらくして、無力な赤ん坊なりに努力をした結果、両親には『この子はお外が好き』と認識して貰えるようになり、抱っこのままであれ行動範囲が広がったのは幸いだった。庭の散歩でも気分は紛れるし、時には街に連れ出して貰える。
 港には空を飛ばない漁船もあったし、馬車なんかも走っていた。魔法とか竜は置いておいて、想像のままの、中近世ヨーロッパ『風』の景色が広がっている。
 逆にこちら特有の、空を飛ぶ帆船にも乗ることが出来た。見た目は遊園地の海賊船みたいだけど、これも本物だよ。
 四頭の竜がぶらさげた篭に乗って、家族みんなできらびやかなお城に行ったこともあったけど……。
 その大きなお城で、わたしは更に衝撃の事実を知ることになったのだ。

 この世界は、『ゼロの使い魔』の世界だった。

 今は結婚してド・セルフィーユを名乗っている母親のカトレアが、フルネームこそうろ覚えだったが、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ、通称『ちいねえさま』であると気付いたときの驚愕は計り知れなかった。いやー、美人だとは思っていたし、ラ・ヴァリエールって名前だけ聞いても思い出せなかったのは仕方ないけど、その展開は予想してなかったよ。
 彼女が『ゼロの使い魔』のヒロイン、ルイズの姉であることは間違いない。……お城でルイズ『おばさま』本人に会って気付いたのだ。生まれてすぐにも来てくれたみたいだけど、その時は目が開いてなかったからね。
 この『ゼロの使い魔』は、サイトという地球の男の子がルイズに召喚されて、そこから面白おかしい愛と勇気の物語が始まる。時々彼以外の誰かや何かが召喚されるお話もあるけど、それはともかく。
 それにしてもレモンちゃん、もといルイズ嬢は滅茶苦茶かわいい。そりゃ男連中がメロメロになるはずだと、一目で理解した。ツンデレの女王にしては性格が丸いような気もしたけど……と言うよりも、大好きな姉とその夫、ついでにかわいい姪っ子にはツン気の出しようもないのかな。とろけるようなデレデレの笑顔で見つめられると、こちらまで嬉しくなる。ほんとにね。
 他にも気付けば、母方の祖母は原作スピンオフの烈風カリンちゃんで間違いなさそうだったし、ヒロインズのうちの一人アンリエッタ姫にも出会った。ついでにただのメイドさんだと思っていたアニエスがあの銃士隊長アニエスだとも知ったが、うちのお父様は一体何をやってるんだか……。
 しかし、途方に暮れるとはこのことだろう。
 どちらかと言えば男性向けジャンルではあっても二次創作界隈での『ゼロの使い魔』は割と一大勢力で、運良くわたしは興味を惹かれていくつかの作品を読んだこともあったし、アニメも見ていた。
 だが、そうか、キャラクター憑依ではなく転生オリジナル主人公なのか……などと気楽に構えていられたらどれほど良かったか。うろ覚えで幾つかのキーワードも思い出せるけれど、それがどれほどの役に立つのかはわからない。ルイズ嬢もまだ、魔法学院に通っていなかった。
 原作キャラの娘に産まれるにしても、もう少し早めに産んで貰っていれば選択肢も広がっただろうに、少々惜しい。とは言え二十歳そこそこのお母様はともかく、お父様は御歳十五とほんとに若いからそれ以上を要求するのは無理というものだろう。
 しかしこのお父様も困った人だった。
 変装したお姫様をアルビオンまで連れていったり、その帰りに空賊に襲われたり、何故か逮捕されたと聞いて心配していたら伯爵になっていたりと、よくもまあ話題の尽きない波瀾万丈の人生ですこと。
 アルビオンとかなり仲良しだけど、戦争に巻き込まれても知らないよ? でもその後だっけ、この国トリステインも戦争になっちゃうんだった。ちゃんと守ってくれるって信じてるからね、お父様。
 いまはともかく、離乳食とはいはい、そしてお喋りを目指して行くしかない。何かを伝えようにも行動を起こそうにも、赤ん坊の身体では制約がありすぎる。せめて、せめて……おむつだけは早々に取り去りたい。あれは面倒だし、色々と恥ずかしい。

 それに。
 元の状態に戻りたくともどうにもならなかったし、転生してお嬢様に生まれ変わるなどという状況に、これはこれで悪くはないかと思うしかなかった。
 今更覚めるような夢ではないなら、ポジティブに行くしかないのだ。

 ……ほんと、どうしてこんなことになっちゃったんだろうね?






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